『超バカの壁』を読んで
- 2018.11.15
著=養老孟司、新潮新書
『バカの壁』『死の壁』に続くシリーズの3冊目。基本的には過去作と同じ内容を、言葉や整理の仕方を変えて、よりわかりやすくしたものである。
養老先生は過去2作で「どうすれば良いかは自分で考えなさい」と言っていたが、ここまで丁寧に教えてくれる優しいお方である。
とはいえ、この本を読んだ人はきっと「なんだ、やっぱり何も具体的な行動については教えてくれていないじゃないか」と思うことだろう。
でも本当は、養老先生は丁寧に「具体的な実践」を見せてくれている。
とにかく、このシリーズで養老先生が言いたいことはきっとこの一言である。
「物事を一つの見方だけで見たら、あんまり良くないんじゃないかね。」
物の見方が凝り固まった人が増えたせいで、ほら、世の中だいぶややこしいじゃないか、ということを語ったのが1作目の「バカの壁」である。自分の考え方の壁を破れないのがいろんな問題を引き起こしていて、その壁のことを「バカの壁」と名付けていた。
2作目の「死の壁」は、「バカの壁」を受けて「じゃあ具体的にどうすればいいんだ?」という読者の声を受けて書かれた本である。だが養老先生は「それは自分で考えなさい」と突っぱね、代わりに「考える題材」として「死」というテーマを提供してくれた。「死」という答えのない物に対して、いかに現代人が無頓着かを語っている。物の見方が凝り固まっているどころか、死に関しては見てすらいない、という問題提起であった。
そして3作目の「超バカの壁」。「死の壁」経ても「具体的にどうすればいい?」という質問があとを立たないので、仕方なく具体的な「実践」を見せた一冊である。
だが先に書いたように、一見すると過去2作と変わらず「世の中の問題」について書かれただけの作品に見えなくもない。
が、「物の見方」という視点で考えると、ものすごく実践の詰まった1冊であることがわかる。
例えば一番最初の章「若者の問題」では、「未成年のタレントがお酒を飲んで暴れたことがニュースになった」ことを話題にして始まる。
それに対して今の世の中は「若者が凶暴化している」という見方をしていることに対して「違う見方もできるんじゃない?」と時代の変化や歴史との比較、また「凶暴化したことをデータとして検証していないこと」など、様々な視点で実際に考えている。
「若者が凶暴化している」という狭い考え方の壁を壊して見せてくれているのである。これはつまり、「思考の実践」である。
「実践」というとどうしても「行動」を思い浮かべてしまう人が多いだろう。しかしこの本が伝えたいことは「物事を一つの見方だけで見たら、あんまり良くないんじゃないかね。」である。つまり、行動うんぬんの前に「考え方」を変えましょうぜ、ということが言いたいのである。だからこの本が提供する実践とは「思考の仕方」なのである。
実はこのことは前書きにしっかりと書いてあった。
しかし養老先生のファンとも言える僕でも、そのことを見落としてこの本から「実践行動」を見つけようとしてしまった。そうするとどうにも何を読み取ればいいのかわからない。しかし「実践思考」を探してみるとあちらこちらからどんどん出てくる。全編が養老先生による「思考の実践」であった。
さて、この本には「思考の実践」がたくさん詰まっていることがわかった。ではそれが一体何の役に立つのか?という話である。
つまるところ、それは読んだ我々が考えることである。
そんなこと言ったら元も子もないと言われるかもしれないが、事実そうであるとしか思えないのだから、仕方がない。
もともとこのシリーズは養老先生が見た世の中の問題について書かれた本である。そしてその問題の核にあるのは「物の見方・考え方」であるという。だからこの本を読んで少しでも柔軟な物の見方を身につけよと言っているのだ。
とすれば、この本から「柔軟な物の見方」を身につけたなら、その自分の目で改めて世の中の問題とは何か?何が原因でどうすれば良いか?ということを考えるしかない。
これから先も世の中は変化していくのだから、自分たちの目でその変化を柔軟に捉えなければならないのである。
これから先の時代に対して思いをめぐらすことがこの本を役に立てるということになるのではないか。
次回は紹介してもらって読んだ「アイデアの作り方(ジェームス・W・ヤング)」を題材に、「物の見方・考え方」の実践について、より深掘りする読書感想文を予定しています。