『お金2.0 新しい経済のルールと生き方』を読んで
- 2018.6.17
『お金2.0 新しい経済のルールと生き方』を読んで
佐藤航陽=著、幻冬舎
「お金」「経済」というキーワードで、これからの社会がどのような仕組みで回っていくのかを、著者が経営者として学び経験してきたことから紐解き説明した一冊。
結論だけを抜き出せば、これからは様々な形の「経済」が一つではなく複数存在し、人々はその中から自分の価値観に合う経済を選んで生きていくことになり、極端に言えば「自分の価値を高めていくこと」ができれば困らない世の中になるのだという。
それを価値主義というらしいが、お金や現在の資本主義も経済の一つの選択肢であり、今までの価値観を壊して新しい価値観が生まれるのではなく、今までの価値観が拡張されていくという話であったと解釈した。
この本を読み終わって感じたのは、「よりSFの世界に近づいているな」ということである。
この本に書いてあることを少し乱暴にまとめるならば「個人が自分の生きる世界を選べるようになる」ということであると思う。
お金を中心とした経済の形以外にもたくさんの経済の形が成り立つようになり、その中から自分の好きなものを選べるようになるというのである。
自分の苦手なことをやらなければならない世界ではなく、自分の価値を活かせる世界を選べる。仮想現実で自分の理想の人生を生きることと、とてもよく似通っているように思う。
インターネットやITの技術がなければ実現しないという点でも、SFの世界が現実になる世界がもうそこまできている、あるいはすでにそういう世界になっていると言える。
価値社会という言葉が使われるようになるとして、心配なことが一つある。
価値が「絶対的なものである」という勘違いが生まれることである。
お金が中心の資本主義社会に生きてきた僕らにとっては、ある意味お金が絶対だという感覚の人もたくさんいたことと思う。しかしこの本でも語られているように、お金とは「信用」を形にしたものであり、それは社会を形成する人の間に生まれた共通の妄想であって、実態ではない。
価値社会では、かつてのお金のようにあらゆる価値にお金のような形を与えていくことになる。価値とは総じて相対的なもので移り変わっていくものであるが、それに形が与えられると、どうしても固執が生まれてくる。たとえそれがネットワークの中であったとしてもである。
価値にばかり目を奪われてしまうと、お金がお金を増やすことに注力するようになったように、本末転倒になってしまうことも考えられる。
本文でも筆者は価値を3つに分解してみたり、「価値とはなんであるか?」であったり、価値とはどこからくるのか?という問いは、今後必須の問いであると思う。
つまり価値というものも人が生み出した幻想の類であるということを認識するべきなのである。
技術が進歩するにつれて、あらゆるものから「不思議」が消えた。
どれもこれもが「こうなればこうなる」という説明ができるように見える。
しかしそれはあくまでも「人間の認識の中」の話である。認識できないものは理解のしようがないことは変わっていない。生きること死ぬこと、命や宇宙のことについて、人は答えを導きようがない。
筆者はこれから先の人の生きる世界が、より自然に近いシステムになるという。確かに人の社会は自然のシステムの上に成り立つのだから、それを踏襲することは理にかなっているとは思う。しかし根本的なところで、人は理解はできないのだということを忘れてしまうとまずい。
わからないものをわからないとして問いかけ続けることこそが、これから先の価値を生み出す原動力になるのだと思う。
このことは筆者も巻末でアインシュタインの言葉を用いて語っている。
社会の形が変わっていっても、我々が人であるということは決して変わらないのである。だとしたらこれまでの人間が変わらず続けてきた考えることが、確実に今必要なことではないだろうか。