『思考の整理学』を読んで
- 2018.4.29
『思考の整理学』を読んで
外山滋比古=著、筑摩書房
30年以上前に出版され、人に必要な「考える力」とは何かについて書かれた本。
先日仲間との早朝勉強会にて「定番本は増刷数が一つの指標になる」という話を聞いて、背表紙側をのぞいてみると、
1986年第1刷
2016年第107刷
と書いてあった。30年に渡って100刷以上された本であるから、それだけ学ぶことも多いであろうことが予感され、非常にワクワクした気持ちで読み進められた。
また、今回は新たな試みとして本への「書き込み」もしてみた。普段は本に直接書き込むということはしないが、最近読書好きの間で話題に良く出る「しるし書店」のことを思い出し、まず自分も書き込みながら読んでみようと思い至った。
普通に読むのに比べて時間はかかったが、こうして感想文を書くにあたっては筆がスムーズに進む感覚があり、第一印象としては良好である。
また、本文中に「何かをしながら思考するのがよい」というような部分があり、散歩も勧められていたため、朝の読書を30分ほど中断して散歩に出かけた。
「読みながら書き込む」という行為が原因なのかはわからないが、普段の自分とは違う行動が見られたのは興味深かった。
さて肝心の感想であるが、率直に、とにかく面白かった。
この本は「思考」を細かく分割して、それぞれを分析し「整理」してくれている。その思考の整理が非常に自分にマッチした。
特に常に頭に浮かんだのはストレングスファインダーにて現れる「着想」の強みであった。これは僕の強みの上位に出てくる特徴なのだが、いわゆる思考能力やアイデア力に関わる強みである。この強みと「思考の整理学」は非常に相性がいいと思う。
着想はこの本で言えば前半の2章・3章あたりの内容が該当するだろう。
いかに情報を得て、それをアイデアとして醸成していくかということが体系化して語られているのだが、これがまた秀逸である。
自分の考え方について考えるというのはあまりできることではない。人の考え方に目を向けることはできても、自分のこととなるとそう簡単にはいかない。自分がどういうメソッドで考えているかを分析するというのは相当難しいことである。たぶんこのことを他人に話したなら、「そういう試みをしているだけでもすごいよ」と言われるくらい難易度は高いことだと思う。
そんな「自分がどう考えているか考える」ということについて、整理して書かれているのがこの本である。読み進めるうちに自分の考え方も整理され、今まで霧に包まれていた部分が晴れやかになった。しかも、今まで霧に包まれていると認識すらしていなかったのにである。
そして肝心なのは、この本に書かれていることは何も「1人で考えること」についてだけではないということである。むしろ、過去に大きな成果をあげてきたのは「思考する集団」だという例を提示している。思考する集団とは端的に言えば、それぞれの個性を活かして新しいものを生む「イノベーションする集団」のことである。
この本のメインテーマである「コンピューターに奪われない人間としての役割を磨く」、そして「イノベーションする集団」とは、まさに今の時代に必要だと言われているものではないか。
AIの台頭で人の仕事が奪われるという危機感、人にしかできない役割の探求、成長するコミュニティの形成。30年前に書かれたこの本でもそれが現在の課題だと言われている。
悲観的に見れば30年間根本的な課題解決ができていないと言えるし、建設的に考えるならそれだけ長い間課題に取り組んだのだから、それだけ武器を得ているとも言える。
この本を起点として現代の社会の課題を解決していくことは十分に可能であろう。
ただこの本を読んであえて課題をあげるとすれば、どう実践に落とし込むか?というところである。
この本を読んで、自己の思考が洗練されていくであろうことは確かに感じた。しかしこの本の本質はただ思考の整理がされることを言っているのではないはずだ。その先の、洗練された思考力で、どう世の中を良くしていくか?ということこそが求められているはずだ。
そのヒントは「思考する集団」を作ることにあると感じる。
時代の境目には必ずそう言った学びを軸とした集団がいたことは、世界の歴史を見れば明白であるからだ。その1集団が直接時代を動かすということではないが、そういう集団が生まれるということが、新たな時代に進む第一条件なのだと思う。