QE-LABO 札幌でフリーコピーライター/デザイナーとして活動する五十嵐渉による、
問い(Question?)と気付き(Exclamation!)の発信基地。いろんな問いをお届けします。

『死の壁』を読んで

『死の壁』を読んで

 

著=養老孟司、新潮新書

 

著者のベストセラー『バカの壁』の続編と銘打たれた一冊。
この本は、バカの壁の出版以後「結局どうすればいいの?」という質問をあまりにも多くされた、というエピソードから始まります。養老孟司先生は「それは自分で考えてください」とバッサリと言う。さらには「何がわかるかわかっていたら調べても仕方ないでしょう。わからないからおもしろいんじゃないでしょうか」「『バカの壁』の向こうにはロマンがある」と語ります。序章の最初の数ページで語られるこのことが、最も大事なことであると感じます。

 

とにかく、今の世の中には「当たり前」が多い。多すぎます。誰も彼もが「そんなことは知っている」という顔をして歩いているようにさえ見えてきます。
『バカの壁』そして『死の壁』が教えてくれているのは「そりゃあ、わからないことをどっかに隠してしまえば、世の中わかることしか残らないわな」ってことではないでしょうか。
私たちはあまりにも「わからないこと」を避けて生きている。それが結果として、たくさんの『バカ』を生み出しているのでしょう。

 

ここで言う『バカ』とは、「調べればわかる、見ればわかると思い込んでいる人」のことです。『死の壁』を読んでわかった気になって得意げにこうして感想文を書いている僕も『バカ』です。僕は今「読んでわかった気になっている」から、『バカ』なのです。
問題はその先です。僕がこの先にある『バカの壁』を超えられるのか?ということです。結論から言えば、僕はその壁を超えます。というよりも、今、超えました。

 

一人で勝手に進んで申し訳ない。ちゃんと説明しなければですね。
つまり『バカの壁』を乗り越える方法とは、
1、自分が何もわかっていない『バカ』であることを自覚して
2、わからないことをわからないこととして考える
ことです。

 

養老孟司先生の『バカの壁』そして『死の壁』を読んで、よくわからない、結局何もためにならない、と感じる人は、単に読書に「正解」を求めていることが原因だと思います。
とはいえ実際、多くのビジネス書や自己啓発書の類には人の悩みに対する答え(風なもの)が書かれていることが多いですから、答えを求めて養老孟司先生の本を読む方がいても当然です。
ですが残念なことに、養老孟司先生の本には答えなんて書いてありません。書いてあるのは「問いに対する向き合い方」といったところでしょうか?答えを求めている人にとっては肩透かしを食らった感は否めないでしょう。しかし、その「問いに対する向き合い方」というのは、実は何よりも答えに近い教えなのです。ことわざで言う「急がば回れ」です。答えを知るよりも、答えの探し方を知ることの方が、実は真実に近いのです。
そしてその「問いに対する向き合い方」と言うのが、先に述べた2つのステップだと、僕は考えます。

 

まず「1、自分が何もわかっていない『バカ』であることを自覚する」というのは「自分は知っている」「当たり前だ」という壁を壊すことです。
私たちは実はこの世界のことを何もわかっていません。自分のことだってそうです。自分が何者でどうして生きて何故死んで死んだらどうなるのか、何一つわかりません。唐揚げが大好き!とは言っても、何故唐揚げが好きなのか、いつから、何が原因で、その原因がどう作用して自分を唐揚げ好きにしたのか、説明なんてできません。「?」を突き詰めていくと、ほとんどのことは答えが出ません。
それじゃあどうしようもないっていうので、ある程度のわかったところまでで線を引いて、「こういうことにしよう」というルールを決めているのが社会というものです。ある程度みんなが「そうだよね」と同意できることを共有して、常識を作ります。「当たり前」の誕生です。
当たり前の世界には「答え」があります。みんなで「これはこうしよう」と決めた世界ですから当然です。僕らは普通に生きていく上で、わからないことや知らないことには基本的には出会いません。大人しくしていれば。
ですが、残念なことにそう簡単にはいきません。先に述べたように、私たちは本来自分のことも世界のことも全然わからないわけですから、嫌が応にも「わからないこと」に出会います。そこで大半の人は勘違いするのです。「すぐに答えがわかるはずだ」と。確かに答えはあるかも知れませんが、問題は「すぐにわかる」と思ってしまうことです。当たり前の世界に当たり前に生きているせいで、「ほとんどのことはわからない」ということを忘れているのです。

 

だから、「自分には何もわからないし、すぐに答えなんて見つからない」と自覚しなければならないのです。
少し間違えました。バカの壁の向こう側に行きたいのなら、それを自覚しなければなりません。向こう側に行きたくない人は別にそんな必要はありません。壁の向こうのロマンに惹かれる人は自分が何も知らない『バカ』だと自覚するのです。

 

そうしたらあとはそんなに難しくありません。「2、わからないことをわからないこととして考える」のです。
わからないことを「すぐにわかる」と決めつけないで、考えるのです。考えて、やってみて、観察して、考えて、やってみて、観察して…と繰り返すだけです。
答えにたどり着けるかはわかりません。ただ、その道すがら、色々なことに気がつくことでしょう。きっと。いつか。
僕もその道をどこまで行ったのかわかりませんから、何が得られるのかはっきりとは言えません。でも、学びとはそう言うものではないでしょうか?学ぶ前に何が学べるかわかっているなんて、学びとは言えないでしょう。何が学べるのかわからないけど、きっと何か学べるという確信のもと進むのが学びだと思います。

 

この本が真に言いたいのはそういうことだと思いました。
「死」というテーマは、人間が何千年前からずっと考えてきて、これから先も永遠に考えていく、「究極の答えのない問い」の一つだと思います。
そういった答えのない問いを問うことの面白さと大切さを教えてくれる一冊でした。

 

ちなみに、養老孟司先生は「体を使うこと」が大切だとバカの壁から引き続きおっしゃっています。その意味はまだ僕にはわからないです。もしかしたらこういうことかな?というのはありますが、こればっかりは「体を使うこと」ですから、考えていたって仕方がありません。今後は頭だけでなく体を使って学ぶ必要もありそうです。