QE-LABO 札幌でフリーコピーライター/デザイナーとして活動する五十嵐渉による、
問い(Question?)と気付き(Exclamation!)の発信基地。いろんな問いをお届けします。

いがらしわたるの怪異レポート’18 ③

いがらしわたるの怪異レポート’18 ③

 

さて、今回は小説に続いて「映画」をテーマに考察していきたいと思う。今回も若干のネタバレが混ざっているので、未視聴の作品がある方は注意して欲しい。

90年代の作品は少ないが、ホラー小説に比べてホラー映画はたくさん見てきたので、より飛躍した考察をしようと思う。

 

ではまずは下の年表を見て欲しい。

これは90年代から現在までのホラー映画のうち、有名なものと僕が見たことのある映画を年代順に並べたものである。(※は未視聴のもの)

 

1995年  学校の怪談※

1996年  女優霊※

1997年  CURE

1998年  リング

 らせん

1999年 死国※(見たことはあるが幼すぎて覚えておらず)

 富江

2000年 呪怨(ビデオ作品)

 バトル・ロワイアル

2001年 回路

 狗神

2002年 仄暗い水の底から

2003年 呪怨

2004年 着信アリ

2005年 輪廻

2006年 オトシモノ

 親指さがし※

2007年 1303号室

2008年 リアル鬼ごっこ

2009年 戦慄迷宮

2012年 貞子3D

 トリハダ

 POV 〜呪われたフィルム〜

2013年 クロユリ団地

 人狼ゲーム

2014年 青鬼

 喰女

2015年 劇場霊

2016年 貞子vs伽倻子

 残穢

 のぞきめ

 

まず注目すべきは90年代である。

1995年からしかないのが気になったのではないだろうか?

これ以前にもホラー映画は存在しているが、どれも有名ではなく数も少ない。

「妖怪」や「四谷怪談」などがテーマのものも多く、それ以降の「心霊」をテーマとしたものも少ない。

この時点で、90年代の前半までとそれ以降で明らかにホラー映画の流れが変わっていると考えられる。

現時点では直感的な仮説を立てることしかできないが、恐らく映像技術の進歩による表現の幅が広がったことが一つの要因ではないだろうか?この頃からハリウッド映画のCGの技術なども急激に発達しているし、そういった関係で「ホラー」の表現が多彩になったことで、ホラー映画が増えていくことになったのかもしれない。

この辺りは映画業界のことも調べていくことで流れがわかっていくのだろう。

 

そして90年代の後半、やはり「リング」の登場によりホラー映画は爆発に増えていくことになる。

ちなみにこの頃から、アメリカでヒットしたサイコサスペンス映画「セブン」の影響もあり、日本でもサイコサスペンス映画が出て来たようである。1997年の「CURE(黒沢清監督)」などはサイコサスペンスの要素が強く、こういった作品もホラーに分類されている。

 

2000年代に突入してもホラーの勢いは止まず、「呪怨」や「着信アリ」などの人気シリーズが続いた。

この「着信アリ」のあたりから、リングが作った「呪いとそのシステムの謎解き」という枠組みが確立され、その後のホラー映画にはそれをなぞったような作品が多く見られる。

小説の時に比べて90年代の作品の資料が足りないのでなんとも言えないが、やはり心霊や怪異、呪いといったものをいかに「説明」するかという方向に流れてきたのだと推測する。

2000年代後半からは、呪いや怨霊にある背景や原因を突き止めることで事態の収拾を図るという内容の映画がほとんどである。小説よりも映画の方がいわゆる「どんでん返し」や見栄えの良い「オチ」がニーズとしてあるのがその理由かもしれないが、それがホラーの性質に大きく影響を与えていくことになる。

 

2010年以降の作品では「わかりやすさ」に傾倒した作品が増えていったように思える。ストーリーの流れを理解してもらうために、演出やシナリオをがなるべくわかりやすいように作られている作品が多いようだ。

さらに、ホラーの質も変化していく。これまでの「呪いとそのシステムの謎解き」という要素は前述の通り「わかりやすさ重視」の傾向により弱くなり、変わりに「ジェイソン」や「ゾンビ」のようなパニックホラー、「ソウ」のようなシチュエーションホラーが増えていく。物陰から急に襲われる、得体の知れない怪物に追われる、強制的に命を奪われるシチュエーションに放り込まれるなど、「非日常的」な状況に急に見舞われる作品が多く見受けられる。

 

これらのホラー映画の変遷は、恐怖の変遷でもあり、また、世の中のニーズの変遷でもある。

 

90年以降のホラー映画の変遷を3つに分けてみる。

 

1期目は、90年代から2000年頭まで。

この時期のホラーはまだ「よくわからないこと」を恐怖の対象としている。

「リング」に関してはミステリー的な謎解き要素を通じて、それでも解けない呪いを描き逆説的に「理解できない」ことを恐怖にしている。

「富江」や「仄暗い水の底から」、「狗神」、「回路」は、普通では理解できないことを「そのまま受け入れる」という形で描いている。「人あらざるもの」を描くことでより人間らしさや命を色濃く描いているようである。

「呪怨」はそれらとは少し違い、とにかく「怖い演出」に特化した作品である。呪いやストーリーはそっちのけ、とにかく「ぞっとする」演出を突き詰めている。その後のホラー映画の演出はほとんど呪怨が教科書になっているように思う。

 

この1期目は「よくわからないこと」を恐怖するように作られた時代である。「よくわからない」からこそ人は疑心暗鬼になる。リングが流行った当時、VHSのテープを再生するのが怖くなったり、夜中のテレビ画面の砂嵐に恐怖した覚えのある人はたくさんいるのではないだろうか。たとえフィクションであっても、それが「よくわからないまま」だから日常に恐怖が侵食してくるのだ。

映画の登場人物たちもまた、日常の中で徐々に恐怖が染み込んでいくように描かれるため、見た人も同じように日常に恐怖を持ち帰ることになる。

 

第2期は着信アリなど2000年代半ばから後半にかけての時期。

前述した「呪いとそのシステムの謎解き」がメインとなっている時期である。

この頃の大体の作品のオチは「呪いは解いたはずなのにやっぱり終わってなかった」というのがセオリーであった。そういった意味では第1期と同じく「よくわからないこと」でもあるのだが、やはり映画全体として謎解きがメインになっており、登場人物たちは「非日常」を過ごさざるを得ない状況にある。この「非日常」というところが第1期との大きな違いで、見た人が日常に恐怖を持ち帰ることが少ない。夜トイレにいけなくなるのも1日だけのことで、長く恐怖を引きずることがなくなってくる。

また、呪いの演出も変わってきて、幽霊が物理的に攻撃してくることが多くなる。生きている人の声真似をしたり、首を締めてきたり食われたり、幽霊や呪いという実態のない存在がゾンビやジェイソンのような実態を持ち始める。

 

第3期は2010年以降、パニックホラーやシチュエーションホラーの影響が色濃くなる時期である。

この時期になると第1期の「よくわからないこと」が復活してくるのだが、第1期とは大きな変化が見られる。それは、よくわからない対象が第1期の「超常的な何か」から「人間」に変わっている作品が増えているのである。

これまでのように「呪い」や「怨霊」を扱う作品も多く残ってはいるが、人が殺されるシーンが増えるなど演出が過剰になり、「命のリアリティ」が欠けている作品が増えた。

元来、人が「よくわからないもの」として恐れたのは「生老病死」という四苦や「自然や災害」といった人の範疇を超えたものであったが、近年のホラー映画ではそういったものを描く作品は減り、人間そのものを恐れるような作品が増えている。

ただ残念なことに人間の怖さの本質をえぐるような作品はほとんどなく、演出的な怖さのみに止まる作品が多いと感じている。

 

この3期の移り変わりから、今度はニーズの移り変わりを見てみる。

とはいえ、それは第3期の最後に語ったことである。

 

元来、人が「よくわからないもの」として恐れたのは「生老病死」という四苦や「自然や災害」といった人の範疇を超えたものであったが、近年のホラー映画ではそういった物を描く作品は減り、人間そのものを恐るような作品が増えている。

 

これはつまり、「人が知りたいこと」が変わったということである。

人は「なぜ死ぬのか?」「なぜ生きるのか?」「自然とは何か?」という問いを解い続けていている。その答えの一つとして宗教があり、科学がある。

特にその科学の進歩により、人は次第にこの世界のことを「知っている」と思うようになった。昔よりはるか遠くの宇宙まで調べられるようになり、物質をより小さくすることができ、不治の病が一つまた一つと減り、人はこの世界を理解してきた。

住むところも都市化が進み、かつては自然に頼っていた光も水も食料も、まるで人間が全てコントロールできるかのように思っている。

特にコンピュータの普及した90年代以降、人々の生活に情報が溢れ出した。人々の生活から「よくわからないもの」が急激に減ったのである。

それにより、よくわからないを住処とする「怪異」は場所を失っていった。それが第1期から第2期への移り変わりである。それでも人はまだ「人」というよくわからない物を抱えていたが、すでに世の中はよくわからないことがストレスだと感じる方向に進んでしまっていた。だからホラーの中から「よくわからない」が排除され、ただ単に「怖い描写」のみが残ることになった。

 

ホラー作品が苦手だという人も多いかもしれない。中にはホラー映画なんぞみるのは時間の無駄だとまでいう人もいることだろう。

確かに近年のホラー映画からは何も得ることはできないかもしれない。しかしそこに欠けているのは映画の面白さではなく、見る側の好奇心である。

見る側のニーズから「よくわからないものを知りたい」という欲求が消えたからこそ今のホラー映画があるのである。よくわからないものを排除して、わかったつもりの中で暮らしているうちは、ホラー映画は楽しめない。

逆に、「よくわからない」を求めるのであれば、どんなに駄作であろうと楽しめるのがホラー映画である。

 

最後の方はひたすら仮説を書き連ねましたが、怪異レポート第三回はホラー映画を大いに深読みしました。