QE-LABO 札幌でフリーコピーライター/デザイナーとして活動する五十嵐渉による、
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いがらしわたるの怪異レポート’18 ②

いがらしわたるの怪異レポート’18 ②

 

今まで色々な読書感想文を書いて来たが、小説の感想文は書いたことがなかった。

今回は「90年代のホラー小説」というテーマで、いくつかの本の感想文を書いてみようと思う。

それぞれネタバレも含むので、悪しからず。

今回読んだ作品

・リング/1991年、鈴木光司

・仄暗い水の底から/1996年、鈴木光司

・白い少女/1995年、桂 千穂

・転校生/1993年、森 真沙子

・ホワイトハウス/1997年、景山 民夫

 

『リング』1991年、鈴木光司

言わずと知れたJホラーの代表作。のちに映画化され、テレビから出てくる貞子の姿は幽霊の代名詞のような存在になっている。近年では貞子がプロ野球の始球式に登場するなど、もはやドラキュラやフランケンシュタインといったモンスター達と並ぶほどに有名になった。

 

とはいえ、原作を読んだことがなかったり映画もみたことがないという人も多いことだろう。簡単にあらすじをいえば、「見ると1週間後に死んでしまう」という呪いのビデオをみてしまった主人公が、同じくビデオをみてしまった娘を守るためにビデオの呪いの謎を解くため奔走するという内容である。

「呪いのナゾを解く」とあるように、ホラーとミステリーが混ざった作品であり、このことこそが近代のホラーの性質をよく表しているということがわかるのだが、それはこの時代の他の作品と比べてわかることなので、後述したいと思う。

 

ちなみにこの作品には「らせん」「ループ」「エス」と続編があり、シリーズを進んでいくとホラーよりもSFの色が濃くなっていく。個人的には「らせん」「ループ」とセットにするとかなり好きな作品で、なんども読み返している。映画「マトリックス」が好きな人にはおすすめです。

 

『仄暗い水の底から』1996年、鈴木光司

こちらも鈴木光司の作品で、「水」にまつわるホラーの集まった短編集。こちらはリングよりもシンプルなホラーで、「都市」と「水」を絡めた怪異はどれもゾクっとする作品ばかりである。その作品もどこかに「急速な都市化によって生まれた街の歪み」のようなものがテーマとして流れているように感じる。自分が住んでいる街にどんな歴史があるのか、それを知る人が誰もいない。急速に都市化していく街で生まれるそんな不安感が怪異として描かれているのではないかと思う。

 

『白い少女』1995年、桂 千穂

うだつのあがらない新進カメラマンの正彦が、踏切事故の現場で出会った不思議な少女・裕美子。彼女をモデルに写真を撮るうちに、正彦は写真家として成功していく。しかしその代償として正彦に課せられた運命とは…。少女の妖しい魅力が匂いたつ、リリカルなファンタジック・ホラー。(本書あらすじより)

 

主人公の元に現れた不思議な少女。物語が進むにつれ少女はこの世のものではないのではないか?という疑問が浮かんでいく。少女は戦地や事故現場など「死」のある所に現れていた、いわゆる死神である。主人公たちは死の運命を免れることはできず、死後の世界で再び巡り会う、、、

 

本書あらすじにあるように、かなりファンタジーな内容である。少女の存在や死後の世界など、それが一体なんなのか「説明」されることはない。そういった意味でファンタジーなのだが、そもそもホラーとはそういった「説明」のないものであったことから考えると、これは純粋なホラーといえるだろう。また、エロティックな描写もかなり力を入れて描かれているが、これもホラーと一緒によく描かれるものである。

 

転校生1993年、森 真沙子

音楽室に鳴り響くピアノの旋律が、惨劇の真相を教えてくれた。図書室の貸し出しカードは死への招待状。理化室で出会ったあの人は伝言ダイヤルに仕掛けられた闇の迷路に消えていった。美貌の転校生をめぐって、5つの教室でくり返される5つの恐怖。封印された怨念の扉を開けてしまうのは、次はあなたかもしれない。書下し学園ホラー。(本書あらすじより)

 

主人公の女の子が転校する先々で経験する怪異を描いた作品。中学、高校、大学と5つの話が描かれているが、どの話もやはり「説明」なされない。「あれは一体どういうことなのだろう?」「怨念の仕業なのだろうか?」という疑問が残るわけでもない。「ただそういうことがあった」と淡々と語られる。この「ただそういうことがあった」というのは怪談のタネである。そこに「意味」や「教訓」が加わったり、「リング」のように「説明」がなされないこのホラーは、現在ではあまりみられないように思う。あえて「ただそういうことがあった」というのを集めたものもあるが、小説ではそれは成り立たなくなってしまったのだろうか。

 

『ホワイトハウス』1997年、景山 民夫

ルポライターの斉木は小説家への転進を決意し、那須の山荘に移り住んだ。渓流と広葉樹に囲まれた白壁の洋館。広いサンルームとブルーベリーが生け垣を作る庭は大きな魅力だ。園芸店の女店員のアドバイスを受けながら、花や樹木と親密に過ごす生活。東京暮らしに疲れた斉木にとっては、願ってもない仕事場であった。この家に封じ込まれた呪われた過去が明かされるまでは…。本邦初!前人未踏のガーデニング・ホラー小説。(本書あらすじより)

 

この作品はまさに「説明のない」作品である。主人公が移り住んだ別荘で育て始めた花から現れる妖精や、二階に住み着いた怨霊など、それが一体なんなのかはほとんど問題にならない。ただそういう「不思議なもの」とどう付き合うか、あるいは排除するために戦うか、それが粛々と描かれている。

こういった作品は現在であればホラーではなくファンタジーに完全に分類されてしまうのではないかと思う。かろうじて、作品を通じて感じられる「不安感」や「疑心」がホラーの要素かもしれないが、花から出てくる妖精の描写は微笑ましさすら感じられ、あくまでも「不思議なもの」を描いた作品なのだろう。

 

ここまでざっと紹介してきたが、ここからもう少し考察を深めたいと思う。

まず、今回あげた作品の中で特に異質な作品があるのだが、どれだかわかるだろうか?

 

答えは「リング」である。何が異質かというと、圧倒的に知名度が高いことである。

その他の作品も著者は業界においては著名な方々であるし、いまだに書店で購入できる時点で決して無名な作品ではないし駄作でないとは思うが、今回「90年代のホラー小説を読んでみよう」と思うまで目に止まらなかったことも確かである。全てを読んだことがあるという人はほとんどいないであろう。

しかし「リング」に関しては読んだことがなくても聞いたことがあるという人がほとんどではないだろうか?映画はみたことがあったり、名前は知らなくても「貞子」は知っている、みたことがある人というところまで広げれば、全ての日本人が当てはまるといっても過言ではないのではないか。

それはつまり、リングという作品が2000年以降にも強く影響を残したという証拠に他ならない。どんな影響かはわからないが、確かに何か影響を与えたのであろう。

 

ではどんな影響を与えたのか、そのヒントが他の作品にあるのではないか。

まず他の作品に共通している項目をあげてみたいと思う。

 

・幽霊や不可思議な現象について「説明」がない。つまり「不思議なものは不思議なもの」として終わっている。登場人物たちはそこに言及しない。

・エロティックな描写がある。

・幽霊や呪いよりも登場人物たちの人間関係や生活が中心に描かれている。

 

ひとまずこの辺りが共通点であろうか。これらは「リング」においてはあまり見受けられない部分である。「幽霊や呪いよりも登場人物たちの人間関係や生活が中心に描かれている。」という部分で言えば、全く描かれていないわけではないが、主人公が冒頭で「呪いのビデオ」をみた瞬間から非日常が描かれている。他の作品はあくまでも「日常」の中に少しずつ不思議なものが侵食してくるのである。これは単なるスタイルの違いでもあるが、その違いが一つ大きな要素になっていることも考えられる。

「エロティックな描写がある。」に関しても「リング」ではほとんど描かれない。実は続編ではそういった要素も出てくるのだが、リングの段階ではあまり出てこない。

「説明」というのも前述したように、リングはミステリーの要素も多くあり呪いに対して「謎を解く」という思考で主人公たちは行動する。しかし他の作品ではそういった思考で行動することはない。「事態を解決したい・回避したい」という思考ではあるが、「謎を解く」という姿勢ではない。

これはホラーを考える上では非常に重要なことである。

 

さて、ここからはさらに2つの方向で考察してみようと思う。

1つはこれらの作品にみられた特徴は2000年代以降はどうなっていくのか、という考察。もちろん90年代の他の作品もさらに読むことも合わせて行なっていき、時代の変化とホラーの性質の変化を考察する。

もう一つは小説ではなく映画のジャンルで同じように考察することである。

こちらは一つ問題があり、そもそも現在みられる数にかなり限りがあるということである。あくまでも小説での考察の補佐的な役割とするのがいいだろう。

 

この考察を通して「人は何に恐怖するのか?」という問いに対して、時代の変化とともに変わるものと変わらないものを見つけたいと思う。その二つのことから、さらに現代の日本人の性質も見えてくるのだと予感している。