QE-LABO 札幌でフリーコピーライター/デザイナーとして活動する五十嵐渉による、
問い(Question?)と気付き(Exclamation!)の発信基地。いろんな問いをお届けします。

いがらしわたるの怪異レポート’18 ①

先日、ある報道を目にした。オウム真理教の一連の事件の中心になった人物たちの死刑執行のニュースであった。

地下鉄サリン事件の起きた1994年、僕はまだ3歳で、事件の記憶は全くない。同年の阪神淡路大震災も同様である。札幌という当地より離れた土地に住んでいたとはいえ、当時はどちらの出来事も日本国中が震撼したに違いない。

僕は昔から、物心つく前つまり3歳頃のことを断片的に思い出す時、そこには必ず言い知れぬ不安感がつきまとうことが、気持ち悪かった。当時触れていたであろう音楽や映像に出くわすたびに、その不安感だけが込み上げてくるのだ。後になってそれが、オウムの事件や震災の時の世の中の混乱を知らないうちに感じていた、その感覚を思い出すからではないかと思うようになった。

 

しかし今となってはその「不安感」というのにも慣れてきて、むしろ楽しむことができるようになった。

もちろん、全ての不安感を楽しめるわけではない。楽しめるのは、毎年夏がやってくると現れる「あの」不安感だ。

 

毎年夏が来ると、TVや書店、あるいはネットの中で「ホラー」と呼ばれるジャンルの情報がざわめきだす。深夜の森の木々のざわめきのように、あらぬ存在を想像してしまう不気味なざわめきである。僕はその不安と恐怖と好奇心が入り混じるざわめきがたまらなく好きなのである。

ある種、官能的とも思えるようなその刺激は、ただの娯楽を超えて、僕のライフワークになりつつある。

 

蝦夷梅雨(えぞつゆ)などという聞き慣れない言葉も耳にするほど、札幌の夏はじれったくその姿を出し惜しみしていたが、7月も終わろうかというこの時になってようやく日差しに痛さを感じるようになった。夏が来たのである。

しかし、僕はすでに夏を一足先に感じていた。それが「ざわめき」である。

オウムの死刑執行の報せは、そのざわめきの最初のひとそよぎであった。僕の知らない90年代というざわめきが僕を呼んだ。

バブル崩壊後の不安定な情勢、オウムや震災を初めとした大きな出来事、そして急速に進む近代化。その後ろには確実に「怪異」の影が伸びている。

 

妖怪や怪談、SFやオカルトなど、「説明のつかない”何か”を説明しようとする装置」は、そうした時代の変化する時に必ず現れる。

今現在2018年もまた、次なる時代への大きな変わり目である。この先の世界がどうなるのかを見定めるには、今この時代がどこからやって来たのか?を知る必要がある。

ビジネスや科学、歴史の視点で考えることも有意義であろうが、時には視点を変えて見るのも面白いのではないか。

むしろ、時代の変化という答えのない問いに答えるには、答えの出ない視点で考えるのがあっているかもしれない。

 

これからを知るためにも、これまでを知るためにも、僕は「90年代の怪異」というざわめきの中へと踏み込むことにした。