QE-LABO 札幌でフリーコピーライター/デザイナーとして活動する五十嵐渉による、
問い(Question?)と気付き(Exclamation!)の発信基地。いろんな問いをお届けします。

『忘れて 捨てて 許す生き方』を読んで

『忘れて 捨てて 許す生き方』を読んで

 

塩沼亮潤=著、春秋社

 

前回に続き、学びの仲間にいただいた塩沼亮潤氏の『忘れて 捨てて 許す生き方』を読みました。前回もそうでしたが、読むだけで感じられる著者の大きさ、懐の深さというものがとても素晴らしく、しばらくは筆を取れない放心状態にありました。

しかし今回は感想文を書くまでしばらく放っておくようなことにはなりません。

というのも、本書の一番最後の文章がとても印象に残り、それだけでも感想文が書けそうだと思えたからです。

 

”もちろん誰かが言った言葉をたくさん集めて、知識として頭に入れるのではなく、そのなかのひとつでもいいですから、実践することが大事です。実践に意義のある時代がまさに「いま」なのです。

 

これは今年、僕がもっとも大事にしているテーマ「実践」をそのまま言ってくださった言葉でした。著者はこの言葉を繰り返し述べています。更にいえば、「原理原則(本文では宗教や哲学といった教え、学び)」のうち、自分のしっくりくるものを見つけて、それに対して実践を積み重ねていくのがよいと教えてくださいました。

これこそまさに僕が近年学んできたことであり、当面の課題なのであります。

つまり「本読んで口ばっかり良いこと言ってないで行動しろ!」というのが僕の課題なのですが、良い加減そのことに「気がつく」のは終わりにしなければなりません。

「実践が大事だと気がついた」というセリフは基本的には「実践していない人」が語る言葉です。本当に実践している人は「実践が大事だ」と言えるはずだからです。

 

最近はようやく僕自身も少しづつ実践をして学ぶことができ始めているのですが、実践で学び始めて気がついたことがあります。

それが先ほどいった「気がつく」という言葉です。

僕が実践で学ぶというステップに行き着くまでに時間がかかった理由がここにありました。「気がつく」という学びは大事なことではありますが、僕のようなもともと行動力のない怠け癖のある人間にはとっても「甘いミツ」でもあったのです。

 

何か学びたいことがあって、本を買いに行くとします。

自分の学びたいことのジャンルの本棚を探し、気になるタイトルや作者を探します。

見つけた本を買って家に帰り、そこに書いてあることを実践してみて、失敗したり成功したりしながら学びます。これを学びのパターン1とします。

 

何か学びたいことがある時に、実際にそれをやっている人にあって話を聞いて見たり、それを体験できる場所に出向きいきなり実践で体験して学ぶ。これが学びのパターン2です。

 

自分が何をすべきかわからない、何を学ぶべきかわからない、もしくはそんなこと微塵も考えていないような時に、上司や友人の話や、テレビや雑誌、本など外部の何かの言葉によってきっかけを得て、「パラダイムシフト(考え方の変化)」を起こし、学ぶ。これが学びのパターン3だとします。

 

さてこのうち、「気がつく」という「甘いミツ」の罠にかかるのはどのパターンだと思いますか?

答えはパターン3です。パターン3だけ「実践」が抜けているのがわかったでしょうか?

 

パターン1はとてもシンプルです。目的を持って、知識を得て、実践する。仮に得た知識が良質なものでなくても、実践の中でそのことを補って余りある経験を得られるはずです。「うまく行かない、どうしてだろう、こうしてみよう」実践の中での学びがあります。

 

パターン2は初めから実践の中に身を投じます。本を読むよりも実際に実践してる人に直接会うことでイメージは具体化され行動に繋がるし、実際に体験して学ぶことはまさに「百聞は一見にしかず」、最高の学びと言えるでしょう。

 

ではパターン3はどうか。

一見すると、他者や外部からの情報により「気づき」を得て、人生を劇的に変えるきっかけという最高の学びをしているようにも感じられます。

しかし実はこの中にはパラダイムシフトを起こした新しい自分で「行動、実践する」という部分が抜けています。ここが問題でした。どんなにパラダイムシフトを起こそうが、その先に行動がなければ学びにはならないのです。

 

しかし、このパラダイムシフトというものはある特徴があって、「とても心地のいいもの」なのです。今までの自分の考え方がガラッと書き換えられ、世界が180度違って見える。見るもの全てが新鮮で、今までと違った解釈が次々と見つかる。一時流行った「アハ体験」みたいな状態がしばらく続くのです。さぞかし脳みそは心地よいのでしょう。

そうなると、僕のような怠け癖のある人間はまた同じような快楽を求めるようになります。

「またパラダイムシフト起こしたいぁ」なんていう風に、誰かの話を聞いて見たり、本を読んで見たり、自分で考えたりします。そしてまた何か新しい考え方に出会って「そうだったのか!」と気づきを得てアハ体験する。

当然そんなことばかりしていたら「知識を得るだけで何も行動していないじゃないか」ということにも「気がつく」。自分のこういうところがダメなんだ、ああいうところがダメだから行動できないんだと「気がつく」。

そうやって「気がつく」という短期的な快感だけを求めている状態。それが「気がつく」という「甘いミツ」の罠にかかっている状態です。パラダイムシフト症候群なんていう風に名付けてしまいましょうか。

 

今回この本を読んで、とある一節を読んだ時にこのことを考えました。

毎日の修行をただ同じようにやるだけでなく、昨日より今日、今日より明日と良くなるようにやる、という話です。

聞いたことのある言葉であって、実践できていないこの言葉を聞いた時にふと思ったのです。

自分がやっていることは、毎日昨日の始まりのところまで戻って、同じところをいったりきたりしているだけなんじゃないか?階段を一段登っては降りて、また一段登っては降りて、を繰り返しているだけじゃないか?と。

一度気が付いたことをもう一度気がつくのは容易です。

本来ならば、気が付いて、実践して、学んで、次のステージでまた新たな気づきを得て、と成長していくのが正しい成長の姿であって、なんども同じステージを登ったり降りたりすることではないでしょう。

 

不思議なもので、自分が同じ階段を登っては降りを繰り返してい時にはそのことに気が付けないものです。ポルナレフがDIOの能力で階段を登ったはずが降りていた時のように、何が起きたかよくわからないのです。(わかる人にだけわかる例えです。気にしないでください。)

 

今の自分は少しだけ、次の階段を登り始めたところだったので、自分がいかに同じところにいたのか、少し上から見てわかりました。

こうして、次のステップに進んでから振り返って気がつくことというのは、確かに成長を実感できて嬉しい部分もありますが、パラダイム症候群に陥っていた時のような高揚感はありません。やはり人は前に進む時に喜びを覚えるようにできているのだと思いました。

 

忘れて  捨てて 許す生き方。

やはり今回もこの著者の言う真理はわかりませんでしたが、その一端には触れられた気がします。